第9回 平成の大演説会 (平成16年5月11日 於 文京シビックセンター小ホール)

−知られざるインド 過去・現在・未来−

弁士  原嘉陽(伝統文化研究家)
     岡本幸治(近畿福祉大学教授)

 緊迫する中台関係、中華帝国に侵されるチベットの受難、止むことなき日本への謝罪要求、厄介な隣国の核疑惑、波乱を予兆させるアジア情勢にあって「今なぜ」インドなのか。第9回の演説会は二人の弁士にご登壇いただき、知られざる大国との日本のあるべき姿を語ってもらいました。以下は編集部にて作成した要略です。

○原嘉陽 (『インド独立の志士と日本人』著者)

 現代の日本人は関心は薄いが、今年は日露開戦百周年である。日露戦争を勝利したことは、アジアの諸国民に衝撃を与えた。白人至上主義に対して毅然と立ち向かった日本を多くのアジア人が憧れた。当時の様子をビハリ・ボースは「興奮の波がインド全土を覆った。子供たちは乃木・東郷両将軍を自分たちの英雄として崇めていた」と語っている。日本とインドが手を結んで独立を闘ったことを我々は忘れてはならない。植民地支配からの脱却を目指した辛苦の過程を日印の同志は共有していた。
 いま欧米と非欧米の文明の衝突が問題となっている。歴史を顧みれば、文明を担う精神の退廃は亡国に至る道である。日本が戦後の虚妄から目覚め、アジア的な精神文化を基調とした道義国家の復興が早急の課題である。アジアにおける同志としてインドと再び手を結び、支那による侵略主義を阻止することこそがアジアの平和と安全にとって一番望ましい。
 忘れ去られつつあった日印の関係史を通じて、大東亜戦争の大義の見直しを現代に問いたい。

○岡本幸治 (『インド亜大陸の変貌』著者)

 日本人のインドに対する認識は戦前よりも低いとさえもいえる。国民に情報を伝える義務のあるメディアもその任を果たしていない。例えばNHKのBS7では朝から晩まで海外ニュースを取り扱っている。午前中に欧米、午後はアジア・アフリカへと順に各国のニュースを流すが、インドを含めて南アジアだけ抜けている。一方で日本のメディアがインドを取り扱う場合も、バランスを欠いている。それは二つの型に分類できる。
 一つは火山型報道である。異常事件が起こった場合だけ、インドのニュースとして報道するのである。野次馬根性さながらに、センセーショナルに煽るだけである。もう一つはフジヤマ・ゲイシャ型報道である。外国人が日本のイメージとしてフジヤマとゲイシャしかないのと同じように、インドを偏った見方でしかみない報道である。異国趣味的なニュースだけを取り上げて、現実の政治経済を分析するような視点はない。
 学界におけるインド研究も政治経済に関しては少ない。経済はまだ発展途上国を対象とした開発経済学の分野から、インドもケーススタディとして取りあげられることもある。しかし、政局や外交といった分野を研究している日本人は極めて少ない。今回の演説会では、原嘉陽さんがインド独立の話をされたので、それ以降の歴史を簡単にまとめてみたい。
 1947年の独立から60年代の初めまでは日本はインドを高く評価していた。ガンジー、パール博士、ネルーなどのインドの偉人たちはたびたび日本の雑誌などでも紹介された。ネルーの政策として有名なのは非同盟主義だが、経済においては社会主義型経済を標榜した。社会主義型経済は社会主義経済とはことなり、基幹産業は公営だが、それ以外の分野は企業による市場競争を認めていた。
 60年代以降、日本は高度経済成長により諸外国への輸出額を伸ばしていった。一方、インドは輸入代替型経済政策を採用した。自動車などの工業製品を輸入するのに替わって、国内での生産品でまかなう方式である。国営もしくは州営の公社が生産したものは、品質が落ちるが国内での需要があったので技術力を身につけるための努力を怠った。そのためにインドの産業は国際市場における競争力を失って、慢性的な外貨不足に悩んでいた。
 60年代までインドと中国は蜜月時代にあった。ところが国境をめぐる争いがおこり、両国の関係は冷めていった。その代わりとしてインドはソ連と付き合うようになる。ソ連は貿易における決済を現物によるバーター取引を認めたり、オイルショックで高騰した石油を友好価格としてインドに安く提供した。従ってソ連の崩壊はインド経済にとって大打撃となったのである。
 従って、日本人のインド認識は、経済至上主義的見方であるが、低迷を続けるインドは低いものでしかなかった。貿易総額におけるインドの占める割合も1%であり、日本のメディアからもインド情報は消えていった。それは一方で冷戦においてアメリカ側についた日本と、ソ連と親しかったインドの国政政治上の関係からいっても、日本人のインドへの興味は薄かったのである。
 近年ではインドといえばIT産業の先進国として再び注目を集めるようになった。第一次産業、第二次産業、第三次産業へと順に移行していくのが常であるのに、インドは第二次を飛越えて第三次産業の最先端へと到達した新しい経済発展タイプであるという見方もある。しかし、インドは10億人の人口を抱える大国であって、香港やシンガポールのように第三次産業だけですべての人を雇用できるわけがない。経済全体をみれば、現在は製造業の発展が著しい。
 インド現代政治に目を向けれると、独立以来の長い一党独裁(国民会議派)が続いていた。独立運動の中でガンジーが都市インテリ層に支持されていた国民会議派を農村部を含めた全国規模に拡大していった。独立後も広範な国民の支持のもとに、日本でいえば自民党のような存在として長く続いていた。日本で90年代に自民党が野党に転落したのと時を同じくインドにおいても連立政権が誕生している。ヒンズーによるインドの近代的発展を唱えるBJPの躍進し、2ダース政権と呼ばれるほど地域政党が乱立している。
 外交においては、インドはこれまで非同盟といいながら非常にソ連に近い立場にいた。ソ連崩壊後は、アメリカとの関係を強化している。アメリカの圧力のもとに、長らく国境紛争を続けていた中国とパキスタンと関係改善に努めている。アジアにおいてはASEAN諸国を経済発展の手本として、最近は交流を深めている。
 今後の日印関係を考えるに、中共の支配する支那大陸に対して、日本、インド、ASEAN諸国、台湾といった海洋国家による連携を深めることが課題となってくる。日本とインドの友好をアジア新時代への展望としたい。

(文責 編集部)