野田毅『野田日記』

本書解説:野田ノートについて


 野田ノートとは、野田毅・陸軍歩兵大尉(後に少佐)が、昭和十六年二月十五日から同二十年九月五日まで約四年半の陣中生活を綴った七冊の日記帳を総称したものである。日記は鹿児島県内で今も御遺族が住まわれている野田家に保存されていたもので、冒頭のグラビアに掲載した写真も含めて同家の御厚意により提供・貸与された原本を忠実に活字化を試みたのが本書である。
 記述の大半を占めるのが、ノートTの劈頭よりノートXの半ばまで、歳月にして昭和十六年二月から同十八年七月までの在タイ・ビルマの「南機関」時代である。この南機関とは、英国の植民地支配下にあったビルマの民族独立を支援し助力し、遂には共に戦った日本軍の特務機関(陸海合同の大本営直属機関として発足するも短時日のうちに海軍部は離れ、大東亜戦争開戦と同時に南方軍総司令部の麾下となり、その後に第十五軍林一六一一部隊に配属)で、記述はビルマ国内より日本へ脱出し海南島三亜訓練所で軍事訓練を受けたビルマ人独立志士約三十名を、擬装した民間会社「南方企業調査会」を通じてタイに漸次入国させる条りから始まっている。かくしてBIA(ビルマ独立義勇軍)の結成、ラングーンへの侵攻と占領、そして「何故か」の機関解散まで、当事者が記録した体験記としての史料的価値は高い。
 ノートXの後半部は南機関解散後の昭和十八年八月に第三九〇九歩兵師団の歩兵大隊長として赴任した満洲時代の記録である。ノートYでは、第十六飛行団附航空少佐として静岡県浜松飛行場から茨城県下館飛行場に勤務し、出陣する特別攻撃隊を見送っているが、「生きた神」と形容する特攻戦士との交遊も淡々と筆を抑えながらも感動的に記されている。八月十五日の玉音放送をいかなる思いで拝聴し、いかなる行動をとったか。激動混乱の極みにあった敗戦直後から復員までをノートZに収める。軍の内部観察者たる資格を有した著者の視線は鋭くも、より暖かいものがある。